合掌造り相倉集落 五箇山 富山県

江戸時代中期の五箇山では養蚕が行われ、塩硝や和紙製造が加賀藩から奨励されていた、名残の集落です。塩硝は火薬という力の象徴でした。

相倉集落 五箇山 富山県

五箇山の合掌造りの時代背景

合掌造り家屋が完成したのは江戸時代中期からと推測されます。
江戸時代中期の五箇山では養蚕が行われ、塩硝や和紙製造が加賀藩から奨励されていました。
こうした仕事に適したスペースを確保するために、高層の合掌造りに発展したと考えられています。

位置

〒939-1915 富山県南砺市相倉

五箇山マップ

相倉集落の風景

古くは塩硝街道とよばれた富山県道54号

江戸時代、五箇山は金沢藩に属していました。
五箇山と金沢の交通には、現在、富山県道54号が使われておりました。

富山県道54号は、南砺市刀利から小矢部川の源流を遡り、五箇山と呼ばれる庄川筋の南砺市西赤尾町まで、ブナオ峠を越えて連絡している。
古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。

一度散策に出かけたが、写真のように、ブナオ峠から長瀞峡は、一部を除き、ほとんどの道路が崩れ、現在は通り抜けは不可能でした。

富山県道54号は江戸時代には硝煙街道と呼ばれていた。

周辺情報

キャンプ場

世界遺産の相倉集落には、野営場があります。(世界遺産の中のキャンプ場って、ちょっと魅力があります。)

有料キャンプ場です。1500円 2024/12現在

受付は、相倉駐車場にあり、料金を支払ってから集落を通って野営場に行きます。
もう一度言います。普段は徒歩でしか許されない世界遺産である相倉集落の中ををバイクで走行して野営場に行くことになります。
テントサイトへのバイクや車の乗り入れはできないようです。
また、駐車スペースは小さい。キャンプ場への道路は一般の交通はほとんどない。
また、その道路をそのまま南下すると、一般道へ出ることができる。

トイレと炊事場しかありませんが、山の中腹のとても静かで誰も来ないところでした。(熊が来る可能性はあるかな、食べ物の匂いをさせないようにしましょう。)

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