頭ヶ島天主堂 長崎県上五島

頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)は、長崎県南松浦郡新上五島町の頭ヶ島にあるキリスト教(カトリック教会)の聖堂である。

頭ヶ島天主堂

戦国時代、五島を支配した宇久純定がキリスト教布教を認め、一時は2,000人の信者がいたとされます。しかし、幕府の禁教令で、キリシタンは途絶えました。江戸時代後期の1797年、五島藩が大村藩に荒地開墾要員の移住を要請したことをきっかけに、外海から潜伏キリシタンが海を渡り、五島各地には再びキリシタン集落ができたそうです。

頭ヶ島教会は五島列島最東端で幕末までは無人島であった頭ヶ島に建てられた小規模な教会ではあるが、西日本唯一の、また日本全国でも珍しい石造の教会堂であり、その意匠も優れている。鉄川与助の設計・施工、大崎八重神父の指導により、島内の石を切り出し、積み上げて建設された。内観の造形は、船底天井と五島列島の椿を模した花装飾と、青を基調とした華やかな雰囲気が美しい。

位置

〒857-4102 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島638番地

頭ケ島は、上五島の中通島から県道62号、頭ヶ大橋を渡ります。

中通島地図

頭ケ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)

頭ケ島天主堂

1887年には木造教会が建てられ、1919年に現在の石造り教会が完成したそうです。
鉄川与助の設計施工で、近くの島から切り出した石を、信者らが船で運び組み立てました。内部は船底のような折上天井で、随所にツバキをモチーフにした花柄文様があしらわれ、「花の御堂」の愛称もあるそうです。

頭ケ島白浜遺跡

白浜は、とても綺麗でした。
キリシタン墓地がある地でもある。

周辺情報

近くの観光

上五島空港

昭和56年(1981年)4月に供用が開始された滑走路長が800mの空港です。
2006年から定期便がなくなった空港です。

上五島空港
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頭ヶ島大橋

頭ヶ島と中通島を結ぶ為、友住瀬戸(孕みの瀬戸)に架けられた橋で、全長300m、朱色の橋体がエメラルドグリーンの海と緑の山々に映えて、すばらしいコントラストを描いている。

坂本龍馬ゆかりの広場

龍馬が弟のように可愛がっていた池 内蔵太をはじめ、12名の同志が若くして海へ散りました。この地に建つ龍馬は仲間への鎮魂の想いを込めて、遭難した場所を見つめながら合掌しています。

中通島の一角、頭ヶ島や平島を望む海岸沿いに整備された広場。慶応2年(1866)5月、坂本龍馬が組織した亀山社中が所有する洋型木造帆船ワイル・ウエフ号が潮合崎[しおやざき]沖で遭難。寺田屋事件で受けた傷で療養中だった龍馬は、この地に駆け付け村役に慰霊碑の建立を依頼したという。広場には「龍馬ゆかりの地」と記された碑とワイル・ウエフ号の舵取り棒のレプリカがあり、池内蔵太ら12名の若き志士たちの冥福を祈る龍馬のブロンズ像が潮合崎沖を望んで立つ。実物の舵取り棒は、広場近くにある民宿「潮騒」に保管されている。

近くのキャンプ場

はまぐりキャンプ村

長崎県五島はまぐりキャンプ村(有川青少年旅行村)

 

長崎県五島はまぐりキャンプ村(有川青少年旅行村)
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五島の記事

旧鯛ノ浦教会

旧鯛ノ浦教会 長崎県上五島 中通島

旧鯛ノ浦教会は、原爆で崩壊した旧浦上天主堂の煉瓦で作られた鐘塔がある。現在は、資料室及び教会学校の教室として使用されている。